くなる一線を越える瞬
Hello!! 昨日は日記をつけませんでした。だからどうしたわけではありませんが、多少の後悔とそれより少ないながらも罪悪感があります。
現在は2月14日の午前二時と、少しばかり時間は過ぎたといっても昨朝から連続して起きているわけですから、一応は2月13日の日記ということにしておきます。
犬の散歩ビジネスについてはどうなることやら分かりません。
ポスターが出来たとて私のように無気力で活動力のない男に何が出来るのか、新しく始めるつもりの起業内容について話している最中にも、緩慢に訪れる、しかし後ろに引きようにも決して下がれなくなる一線を越える瞬間が、ひたひたと差し迫ってくるのを感じてはいます。
ホームレスについての話というものは興味深く、しかも私と友人R立は、忌避・嫌悪または透明化さえしている同世代の人間よりも、ホームレスについての――もちろんある程度の留保と、彼らへの独善的な理解を避けなければとした危惧の感を忘れずにいつつも――一応の視線を持っているでしょう。
これは実に重要なことで、自身がホームレスになる可能性について云々しようと実際に「なる」のは先の話ではあるだろうし、どちらにしろ考えてみたところでも頑是無いのでしょうが、それにしても自分たちの現状(見せ掛けだけの学生、職業を探すつもりはあるとしても、どうも切迫感もなければ大体希望自体が存在しているとDream beauty pro 好唔好自分自身を騙しきれる自信もない)を鑑みると、当然未経験でありながらやはり同世代の人間よりは現実的直感に落とし込め、より将来に起こりえる地続きの感覚で受け止めることが出来るのではないかというわけです。
ホームレスとはどのような状況、どのような心理であるのか、私ならば何を思うのか? とはいえ特に自らに引きつけてみたところで想像の域を出ず、やはりはっきりとは分からないのですね。確かに良しとはしないともちろん現在は考えているのですが、ひょっとしたらいざそのときになってみると『まあしょうがないな、これならこれでやっていくしかない。ああ、まずは差し当たりどうしようか』みたいに案外簡単に至るのではないかと。
あるいはそういった状況が訪れるならば已む無しとして、多少なりとも肯定しているかもしれません。実際問題、際[キワ]とも呼べる状態になれば選択の余地があることは稀かもしれませんが。
ほとんど意識下レベルにおいては現在鋁門窗の生活や立場(?)という一応の安定を打ち捨てることに対し、さほど自身の臆する姿を想像出来ず理由も見当たらない、つまり執着していないのではないかと思ってしまうのですね。
これは一体全体どういうわけなのか。今更になってよく掴みきれていないのです。
受け入れざるを得ない困惑する現状、受け入れ難さに繰り返される表明の戸惑い、今を嘆き届かぬ過去へ悔恨混じりに手を伸ばし、伏し目がちにあるいは定まらぬ中に渇望ばかりが生ぬるい熱を帯びた視線を送る――か。
まあ、良しとしましょう。とりあえず明日へ、明日へと繋がる今日の最後の刻であるよう。
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